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繭子(マヨネーズ)の創作活動情報など
2024/09/22 [01:56:39] (Sun)
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2006/08/07 [02:53:43] (Mon)
皆さんもご存知のように、亀田のボクシングタイトルマッチには、様々な疑惑が飛び交った。
そして土曜日に放送された「HERO'S」という格闘技番組でも、桜庭戦に於いて似たような疑惑を私は感じた。
他にも、「K-1」のムサシの試合、また「K-1 MAX」の魔裟斗など、腑に落ちない判定は最近多い。枚挙に暇が無い。。。
このような試合を見ると、とても惨めな気持ちになる・・・

彼らのような有名選手にもなると、自分自身の強さを求めて闘っていくという信念に比べて、周囲からの期待の方が大きすぎて、等身大の自分を測れなくなってしまうのかもしれない。だから、あからさまに自分が劣勢な試合内容でも、結果として勝利の判定を頂いてしまうと、それに対して「オレはやった!」というコメントを言えちゃうような頭の中になってしまうのかも。

本当に強くなりたい人にとって、有名になることはひとつの障害なのではないか?自分が何のために闘っているのか、そのピントをぼかしてしまうような。有名になればなるほど、この障害を乗り越えていくことは難しい。

公正なジャッジとは言い切れない判定が格闘技界を席巻している昨今、そのうしろにはどんな期待や力がうごめいているのか、一般人の私には到底計り知れないが、そこに担ぎ上げられてしまった選手に一抹の哀しみを感じる。
自分に誇りを持って闘っている選手に対して、公正なジャッジが行われないことは、その判定で勝った選手、負けた選手双方から「誇り」を奪ってしまっている、と私は思う。

誇りを賭けて闘う、という場が無くなっていくことに、私は少なからず、危機感を感じている。人類の誇りまでもが失われていくのではないかと・・・
利を得ることだけが満ち足りた人生なのかな?
誇りを持って生きていくことの方が、満ち足りた人生になり得ないかな?
誇りを持って生きていくというのは、他人に勝ったかどうかではなく、己に克ったかどうか、なんじゃないかな?

ずるをして勝った人は、自分の欲に負けている・・・と。

私は自分の生を誇りたい。

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プロフィール
HN:
繭子/mayo
HP:
性別:
女性
職業:
絵師
趣味:
ゲームゲームゲーム
自己紹介:
同人活動サークル名
玉響庵[たまゆらあん]
逆転裁判中心に活動中

これまでの絵活動
DEATH NOTEカードゲームイラスト/KONAMI
ペルソナ3アンソロジーコミックス1・2・3/エンターブレイン
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